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「ビッグデーターと人工知能」(西垣通著、中央公論社)を読んで

あろうか?AIが巷で大騒ぎされている中で、客観的にAIを評価している学者がいないかと探していたら、偶然、標記の図書を見つけ購入した。

西垣氏は古くからの情報処理学者で、コンピューターを利用した種々の計算、統計処理の初期から、データー処理について携わってこられただけに、コンピューターという装置(機械)の限界を十分に知り尽くしており、幾ら画期的なソフトを用いても生物として生きてきたヒトの能力を総合的に超えることは無いという確信を持っておられるように感じた。だから、西垣氏も現在の”シンギュラリティ狂騒曲”に辟易されているらしい。そこで、提案されているのがAIでは無く、IA(Intelligence Amplifier)として超高性能を誇るコンピュターシステムを活用し、ヒトはその結果を用いて”集合知”によりこれからの社会の諸問題を解決し、また、より豊かな社会を築いていこうとしている。

私は、西垣氏とは視点が少し異なるが、IAのツールとしてコンピュターシステムを活用しょうという意見には大賛成である。しかし、ここで課題が一つある。

それは、”シンギュラリティ仮説”が本当に仮説で終わるのかという問題で、以前にも意見を述べたが、ヒトの英知は原子力爆弾のように思わぬ”悪魔”を産む可能性があることである。だから、私は今の内に”あるレベル以上の研究開発を禁止する”国際的な取り決めを作っておくべきだと思っている。アシモフの3原則では足りないのは明らかである。私は情報処理については素人でしかないので、ヒトという生物は装置(機械)に越えられることは無いとの確信まで持てない。

西垣氏との視点が異なる点は、これも以前から指摘しているように、”複雑なシステムになればなるほど、システムとしての故障率が増す”という機械システム側の問題が置きざりにされてAIやシンギュラリティが議論されていることである。ヒトや生き物は自ら危険を察知してそれを避け、生きるための食物を探し、気候の変動などに対応するためや、天敵から身を守るために遺伝子的な変化を遂げてきた。気の遠くなるような時間をかけて完全な機械システムを作りあげてきた。仮に、優秀なソフト解析とプログラム処理によりソフト的に”シンギュラリティ”に近いことが実現されたとしても、コンピューターからの指令を受けて作動する”機械システム”にはある確率で故障や誤作動が起きるのである。将棋や碁のソフトでヒトが負けたというような単純な問題ではない。自動車の完全な自動運転などは不可能な事を何故、識者は大きな声で叫ばないのであろうか?

ビッグデーター処理はプライベートを犯さない限り実に有効な手段である。ディープラーニングの考え方も結構、しかし、それらの結果を直接アクションに結び付けるにはフェィルセーフが確実に担保されていることが必要不可欠と考える。

諸兄のご意見を聞きたい。

以上

DosankoJJ