AIが許される範囲(2)

AIについては、恐らくプラスの面だけが強調されて研究開発・普及が進むであろう。それはそれで良いことである、

下表は「官民 ITS 構想・ロードマップ 2016 」~2020 年までの高速道路での自動走行及び限定地域での無人自動走行移動サービスの実現に向けて~ (平成 28 年 5 月 20 日 高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部 )からの引用である。

私の考え方では”良い面”はレベル1とレベル2の半分程度までで、レベル3&4は”悪い面”となる。

即ち、人身事故の絶滅、衝突や自損事故の軽減、高齢者の判断能力補完、自動車本体のメンテナンス支援、車内の快適性維持、省エネ運転支援、そしてドライバーの肉体的トラブルへの警告・自動停止、などは是非ともAI技術によって対応を図って欲しい項目である。本来の目的である”ドライバー自身の安全を確保し、かつ、平行して、または対向して走行中の車両との走行中の事故を防ぎ、交差点等における歩行者との事故を絶滅する”ことを第一義として対応することが絶対条件である。それ以上は望まないし、望む必要はない。

それなのに、業界及び国はレベル3,4と、より高度化、複雑化しょうとして、競争に膨大な資源(人、資金、時間)を投入している。何故と聞きたい。

私自身が某大手電機会社に40年余を過ごして分かるのであるが、システムというものは

複雑になればなるほど、達成感が大きく、開発者として満足度が高いものである。しかし、システムが複雑という事は部品点数が指数的に増加するため、品質保証の要求度も指数的に高くなってくるのが常識である。上の表で、レベル3,4となると責任は”システム側”になると明記されており、ドライバーの生命は元より他のドライバーや歩行者の生命までも”システム”に責任を持たせるという考え方になっている。私は、一品だけの特別注文品であればいかなる複雑なシステムでもお金に糸目をつけずに設計・製造する自信がある。しかし、少なくとも何万台という”ライン”で製造される”走る凶器”とも称される自動車がレベル3,4の複雑なシステムで自動走行を許可するという事には断固として反対である。技術的に出来るという事と、その技術を一般化するという事は別のものである。AIの”悪い面”である。

そのような事を考えていたら、先日、ミニロケットが発射に成功したものの、情報通信で問題が発生し、2段目の着火を断念したとの記事があった。コストを低減するために、民生用のシステム、部品を採用したことが原因らしいとある。このミニロケットを打ち上げるために、”民生用のシステム、部品”と言っても、相当な品質管理の製品を選らび、かつ、種々の耐久性などの実験を行い、採用したものであって、秋葉原へ行って適当に購入したものではない筈である。それでも、一品だけの特別仕様システム、部品とは異なるのである。自動運転のレベル3,4ではドライバーや歩行者などの生命が担保になっているので、故障しましたでは済まないのである。

私は問いたい。何のためにこのようなレベル3,4が必要なのか?と。

想像するに、レベル3,4に対応する自動車が市販されると、その価格はとんでもない価格であり、一部の富裕層向けだけになるであろう。そのドライバーはハンドルを操作することなく、携帯でゲームをしたり、お茶を飲んだりしていて、並走している旧型自動車の運転席には高齢者が必死にハンドルにしがみついて運転している光景は見たくないものである。

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